破局的な巨大火砕流から9万年を経て、彩り豊かに蘇った大地の軌跡。
周遊モデルコース紹介
周遊モデルコース紹介
巨大火砕流の痕跡コース
約9万年前の阿蘇火山の巨大噴火による火砕流の痕跡を巡るコースです。
滝や岩壁にみられる溶結凝灰岩の柱状節理や、火砕流で蒸し焼きにされて埋もれた巨木を見ることができます。
*時間は駐車場(または駐車スペース)間の一般的な所要時間です。見学時間等は含まれていません。
道の駅原尻の滝
原
尻
の
滝
平地に突然現れる東洋のナイアガラ
およそ9万年前の阿蘇火山の4回目の巨大噴火による火砕流が冷えて固まった溶結凝灰岩が崩落してできた滝です。幅は約120m、高さは約20mあります。
およそ9万年前の阿蘇火山の4回目の巨大噴火による火砕流が冷えて固まった溶結凝灰岩が崩落してできた滝です。幅は約120m、高さは約20mあります。
滞
迫
峡
高さ70mにおよぶ柱状節理の絶壁
両側を柱状節理の発達した溶結凝灰岩の絶壁で囲まれた、奥岳川沿いの峡谷です。崖の高さは70mにおよびます。
両側を柱状節理の発達した溶結凝灰岩の絶壁で囲まれた、奥岳川沿いの峡谷です。崖の高さは70mにおよびます。
道の駅きよかわ
沈
堕
の
滝
雪舟も描いた名瀑
大野川の本流にかかる雄滝は幅約100m、高さは約20mあります。室町時代に雪舟がここを訪れ、「鎮田瀑図」を描いたことでも有名です。
大野川の本流にかかる雄滝は幅約100m、高さは約20mあります。室町時代に雪舟がここを訪れ、「鎮田瀑図」を描いたことでも有名です。
岩
戸
の
景
観
二層の火砕流が重なる鉄道ファンの聖地
大野川と奥岳川の合流点にそびえる絶壁です。崖の下半分は阿蘇火山の3回目の巨大噴火、上半分が4 回目の巨大噴火による火砕流でできています。
大野川と奥岳川の合流点にそびえる絶壁です。崖の下半分は阿蘇火山の3回目の巨大噴火、上半分が4 回目の巨大噴火による火砕流でできています。
松
尾
の
埋
没
木
火砕流で蒸し焼きになった巨木
旧三重南小学校(現あかい屋根の郷)の校庭に保存されている木の幹は、近くの沢の谷底に埋まっていたものです。阿蘇火山からの火砕流で蒸し焼きにされたものと考えられています。
旧三重南小学校(現あかい屋根の郷)の校庭に保存されている木の幹は、近くの沢の谷底に埋まっていたものです。阿蘇火山からの火砕流で蒸し焼きにされたものと考えられています。
巨大火砕流の痕跡コース
約9万年前の阿蘇火山の巨大噴火による火砕流の痕跡を巡るコースです。
滝や岩壁にみられる溶結凝灰岩の柱状節理や、火砕流で蒸し焼きにされて埋もれた巨木を見ることができます。
原
尻
の
滝
平地に突然現れる東洋のナイアガラ
およそ9万年前の阿蘇火山の4回目の巨大噴火による火砕流が冷えて固まった溶結凝灰岩が崩落してできた滝です。幅は約120m、高さは約20mあります。
およそ9万年前の阿蘇火山の4回目の巨大噴火による火砕流が冷えて固まった溶結凝灰岩が崩落してできた滝です。幅は約120m、高さは約20mあります。
沈
堕
の
滝
雪舟も描いた名瀑
大野川の本流にかかる雄滝は幅約100m、高さは約20mあります。室町時代に雪舟がここを訪れ、「鎮田瀑図」を描いたことでも有名です。
大野川の本流にかかる雄滝は幅約100m、高さは約20mあります。室町時代に雪舟がここを訪れ、「鎮田瀑図」を描いたことでも有名です。
松
尾
の
埋
没
木
火砕流で蒸し焼きになった巨木
旧三重南小学校(現あかい屋根の郷)の校庭に保存されている木の幹は、近くの沢の谷底に埋まっていたものです。阿蘇火山からの火砕流で蒸し焼きにされたものと考えられています。
旧三重南小学校(現あかい屋根の郷)の校庭に保存されている木の幹は、近くの沢の谷底に埋まっていたものです。阿蘇火山からの火砕流で蒸し焼きにされたものと考えられています。
*時間は駐車場(または駐車スペース)間の一般的な所要時間です。見学時間等は含まれていません。
滞
迫
峡
高さ70mにおよぶ柱状節理の絶壁
両側を柱状節理の発達した溶結凝灰岩の絶壁で囲まれた、奥岳川沿いの峡谷です。崖の高さは70mにおよびます。
両側を柱状節理の発達した溶結凝灰岩の絶壁で囲まれた、奥岳川沿いの峡谷です。崖の高さは70mにおよびます。
岩
戸
の
景
観
二層の火砕流が重なる鉄道ファンの聖地
大野川と奥岳川の合流点にそびえる絶壁です。崖の下半分は阿蘇火山の3回目の巨大噴火、上半分が4 回目の巨大噴火による火砕流でできています。
大野川と奥岳川の合流点にそびえる絶壁です。崖の下半分は阿蘇火山の3回目の巨大噴火、上半分が4 回目の巨大噴火による火砕流でできています。