豊後大野の大地は、今からおよそ9万年前に起きた阿蘇火山の巨大噴火による火砕流に埋め尽くされました。
その後、やがてそこに水が流れ、命が生まれ、豊かな大地がよみがえりました。
水と大地は命あるすべての源であり、そこで営まれる「生活=いのちき*」とともに支え合い、繋がっています。
そのことを「彩り」という言葉で表現しました。

*生業、生活を意味する大分方言

豊後大野市について

 豊後大野市は九州の東部、大分県の南部に位置し、面積は約603平方キロメートルと大分県で3番目に広い市となっています。平成17年に大野郡の三重町、大野町、犬飼町、朝地町、緒方町、千歳村、清川村の7町村が合併して誕生しました。市の中央を九州屈指の河川である大野川が流れ、周囲をくじゅう連山、阿蘇山、祖母・傾山系の山々に囲まれた緑豊かな大地です。この豊後大野市の全域が平成25年9月、日本ジオパークに認定されました。

蘇る大地のものがたり

阿蘇火山の巨大噴火

 今からおよそ9万年前、阿蘇火山が巨大噴火を起こしました。その規模は過去最大で、想像を絶するものでした。この噴火により巨大な火砕流(かさいりゅう;高温の軽石や火山灰、火山ガスなどが入り乱れて一気に流れ下る現象)が発生し、豊後大野市のほぼすべての地域が火砕流に埋め尽くされました。
 火砕流は九州の大半に広がり、一部は海を渡って本州の山口県まで到達しました。火砕流は、豊後大野市の中部の低地を中心に数十メートルの厚さで堆積し、一部は自らの熱で溶け、その後冷え固まって「溶結凝灰岩(ようけつぎょうかいがん)」と呼ばれる岩石となりました。
 冷え固まる際に体積が収縮し、縦に長い無数のひび割れがはいりました。これを「柱状節理(ちゅうじょうせつり)」と呼びます。おおいた豊後大野ジオパークでは、このような溶結凝灰岩の柱状節理がいたる所に見られます。

滝や渓谷などの美しい景観と石造文化

 火砕流に埋め尽くされた大地には、再び川が流れ、川は徐々に大地を削り込んでいきました。柱状節理がはいった溶結凝灰岩は縦に長く割れるため、川には滝ができました。また、谷の両側は垂直な断崖となりました。溶結凝灰岩の崖のうち、柱状節理のない部分は、比較的柔らかく加工がしやすいため、磨崖仏が彫られました。
 また、深い谷を安全に渡るため、溶結凝灰岩を利用して多くのアーチ式石橋が架けられました。さらに、川に削り残された部分は「原(はる)」と呼ばれる台地となり、農耕の場となりました。
 また深い谷の両側の水田に水を引くため、滝の上流から水路(井路)がめぐらされました。このように、阿蘇火砕流はこの地にさまざまな恩恵と困難をもたらしました。そして、その困難を克服しようとした人々の知恵が、現在の豊後大野の文化を育んできたのです。

浸食作用により、長い時間をかけて山や谷が形成されます。

火砕流が谷を埋め、厚くたまった部分には柱状節理ができます。

ふたたび谷が削られ、柱状節理には滝が形成され、崖には磨崖仏が、深い谷には石橋が造られました。また削り残された台地は「原(はる)」と呼ばれ、耕作地に利用されています。