破局的な巨大火砕流から9万年を経て、彩り豊かに蘇った大地の軌跡。

みどころ紹介

みどころ紹介

たかまる人々の想い

磨崖仏とは崖に直接彫られた石仏のことです。豊後大野は全国的にみても磨崖仏がきわめて多い地域となっています。これらの多くは、火砕流が冷えて固まった溶結凝灰岩のうち、柱状節理がなく比較的加工がしやすい部分を選んで彫られています。

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菅(すが) 尾(お) 磨(ま) 崖(がい) 仏(ぶつ) (C-1)

菅尾磨崖仏は平安時代後期に作られた5体の磨崖仏で、約9万年前の阿蘇火砕流の溶結凝灰岩に彫られています。京都や奈良の木造の仏像と比べても遜色のない、非常に精緻な作りとなっていることから、国の重要文化財に指定されています。豊後大野の数多くの磨崖仏の中でも代表的なものです。
(磨崖仏へは急な石段または急坂があります。足元に十分ご注意下さい。)

宮(みや) 迫(ざこ) 東(ひがし) ・() 西(にし) 石(せき) 仏(ぶつ) (C-2)

東西2カ所に彫られた磨崖仏で、いずれも阿蘇火砕流の溶結凝灰岩に彫られており、平安時代後期の作と推定されています。この地域には源平の合戦で活躍した緒方三郎惟栄の荘園があったと言われており、磨崖仏の造営には緒方三郎惟栄が大きく関わっていたことが推測されます。
(石段では足元にご注意下さい。)

柴(しば) 北(きた) 熊(くま) 野(の) 社(しゃ) (C-3)

社殿の裏の岩壁は約9万年前の阿蘇火砕流の溶結凝灰岩で、大きく「熊野宮」の文字が彫られています。崖の下からは地下水がこんこんと湧き出し、磨崖仏と同様にこの場所が神聖な場所として信仰の対象になったことがうかがえます。

普(ふ) 光(こう) 寺(じ) 磨(ま) 崖(がい) 仏(ぶつ) (C-4)

普光寺の境内に彫られた磨崖仏は、台座を含めた高さが約11mで、国東半島の熊野磨崖仏とともに日本最大級の磨崖仏です。豊後大野の多くの磨崖仏が約9万年前の阿蘇火山の4回目の火砕流が固まった溶結凝灰岩に彫られているのに対し、この磨崖仏は約12万年前の3回目の火砕流の溶結凝灰岩に彫られています。
(舞台に上がる際には足元にご注意下さい。)

大(おお) 迫(さこ) 磨(ま) 崖(がい) 仏(ぶつ) (C-5)

お面をつけたような一種異様な顔つきの磨崖仏は、岩の表面に麻などの繊維を混ぜた粘土を貼り付けて作られたものです。この岩は約60万年前に、今の由布岳あたりにあった火山から流れてきた火砕流が固まったもので、非常にもろいため、このような姿になったと考えられます。

犬(いぬ) 飼(かい) 石(せき) 仏(ぶつ) (C-6)

犬飼石仏は、約9万年前の阿蘇火砕流の溶結凝灰岩に彫られた磨崖仏で、像の形式から鎌倉時代に作られたと推定されています。不動明王にありながら温和な顔つきが印象的です。歌人の与謝野晶子がこの地を訪れ、詠んだ短歌の歌碑があります。
(落石のおそれがありますので、崖に近づかないようにして下さい。)